2012年12月01日
【181】歩き遍路23日目〈その3〉[2012年4月12日]
県道から離れ、大浜という集落に入る。用水沿いの道を歩いたり、石段を上り丘を越え、へんろ標識を見落とさないように歩くと、ジョン万次郎の生誕地と言われる、中浜となった。
足摺の西岸は変化に富んだ道が続く。
中浜万次郎生家と書いた大きな看板もあり、ミニ観光地のようになっていた。
堤防のコンクリートの壁に、ジョン万次郎の生い立ちが書かれた看板が並んでいたので、それを読みながら歩いた。
中浜の集落を抜けると、再び丘の上を目指し、厚生橋に行く山越えの道と車道を進む道との分岐点となった。へんろ道の赤い点線沿いは一巡目の時、忠実に歩いているので、ここも車道を選択する。
県道に到達し、ここからは下りとなる。海岸に再び出ると、湾の向こうに土佐清水の街が見渡せるようになった。ここから対岸に渡れれば随分と近道になるのだが、ぐるっと大回りしなければならない。
帰宅後に購入した、東海出版の四国遍路地図を見ると、江戸期は湾口を舟で渡った、と書いてあり、消えた遍路道の点線が引いてあった。
椰子の木が植えてあり、南国情緒を醸し出している辺りで、一人のお遍路さんが向こうからやって来た。これまで何度か会っている栃木の方かな、と思い声を掛けたが、間違えで、口数が少なそうな若い青年だった。すぐに分かれたが、彼とは8日後に久万高原で再びすれ違うことになる。
足摺の西岸は変化に富んだ道が続く。
中浜万次郎生家と書いた大きな看板もあり、ミニ観光地のようになっていた。
堤防のコンクリートの壁に、ジョン万次郎の生い立ちが書かれた看板が並んでいたので、それを読みながら歩いた。
中浜の集落を抜けると、再び丘の上を目指し、厚生橋に行く山越えの道と車道を進む道との分岐点となった。へんろ道の赤い点線沿いは一巡目の時、忠実に歩いているので、ここも車道を選択する。
県道に到達し、ここからは下りとなる。海岸に再び出ると、湾の向こうに土佐清水の街が見渡せるようになった。ここから対岸に渡れれば随分と近道になるのだが、ぐるっと大回りしなければならない。
帰宅後に購入した、東海出版の四国遍路地図を見ると、江戸期は湾口を舟で渡った、と書いてあり、消えた遍路道の点線が引いてあった。
椰子の木が植えてあり、南国情緒を醸し出している辺りで、一人のお遍路さんが向こうからやって来た。これまで何度か会っている栃木の方かな、と思い声を掛けたが、間違えで、口数が少なそうな若い青年だった。すぐに分かれたが、彼とは8日後に久万高原で再びすれ違うことになる。
Posted by こいったん at 22:05│Comments(0)
│お遍路 第二拝(高知)