2012年12月26日
【191】歩き遍路24日目〈その3〉[2012年4月13日]
へんろ地図には、「古来、金剛福寺を打ち終えた遍路は、篠山詣りか月山詣りをすることを不文律としてきた」とあることから、月山神社はさぞ立派な神社なのか、と思ってしまうが、見た感じは普通の神社よりも小さい感じがする。
般若心経を唱えたが、神社だから、手拍子と礼だったのだろうか。
参拝していると、「民宿宮本」に宿泊していた愛媛のSさんも到着した。
月山神社一帯は、大浦の集落を出てからというもの、人の気配も車の姿も見えない寂しい場所である。前後に何人か歩いていたことは分かっていたのでよかったが、一人っきりだったら、さぞ心細かっただろう。
その内、はじめて見かける野宿風の気さくなおじさんがやって来た。逆打ちをしているそうで、昨日は赤泊の浜で野宿したそうである。人気の無い海岸で野宿をする逞しさには感服である。
しばらく車道を歩いてから、再び地道の遍路道となった。
後で聞いた話では、同宿した河内長野や喜多方の方は、道が荒れているかも知れない、と車道を歩いたそうだが、その様な事はなく、ずっと歩きやすい道が続いた。
へんろ地図には展望台があることになっているが、どこにあるのか分からなかった。いつの間にか、通過してしまったようだ。
しばらくは平坦な道が続いていたが、九十九折りの下り坂となった。
般若心経を唱えたが、神社だから、手拍子と礼だったのだろうか。
参拝していると、「民宿宮本」に宿泊していた愛媛のSさんも到着した。
月山神社一帯は、大浦の集落を出てからというもの、人の気配も車の姿も見えない寂しい場所である。前後に何人か歩いていたことは分かっていたのでよかったが、一人っきりだったら、さぞ心細かっただろう。
その内、はじめて見かける野宿風の気さくなおじさんがやって来た。逆打ちをしているそうで、昨日は赤泊の浜で野宿したそうである。人気の無い海岸で野宿をする逞しさには感服である。
しばらく車道を歩いてから、再び地道の遍路道となった。
後で聞いた話では、同宿した河内長野や喜多方の方は、道が荒れているかも知れない、と車道を歩いたそうだが、その様な事はなく、ずっと歩きやすい道が続いた。
へんろ地図には展望台があることになっているが、どこにあるのか分からなかった。いつの間にか、通過してしまったようだ。
しばらくは平坦な道が続いていたが、九十九折りの下り坂となった。
Posted by こいったん at 22:37│Comments(0)
│お遍路 第二拝(高知)