2017年05月24日
【3巡目-161】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その7〉[2016年8月13日]
道を下って行くと、スカイラインからも見えていた、自給自足をしているような一軒家がポツンとあった。記念撮影しようとすると、家人が出てきたので、慌てて撮るのを止めた。
何も声を掛けられなかったから、この先、歩いてだったら行けるのかも知れない、と少し安心する。
かなり辺鄙な場所だったが、民家がいくつか見られた。ただ、人の気配がしない。
道は海岸へと近付き、樹木に覆われて見えにくいが、10mほど崖下に海が見える。
海沿いの林の中を進んで行くと、少しの田んぼがあり、作業をしている人の姿が見えた。この辺りに住んでいる人は、おそらく10人もいないだろう。
再び薄暗い林の中となる。小さな神社がある。徳島県なのになぜか高知神社となっていた。
人気の無い道をトボトボ歩いていると、郵便配達のバイクがやって来た。こちらに大いに関心がある様子で、会釈をして通過していった。
この道は歴史のある古い道かなあ、と思っていたが、遍路石などは見当たらなかった。
2017年05月21日
【3巡目-160】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その6〉[2016年8月13日]
左手に時折海を見ながら、ゆるやかなアップダウンを繰り返す道が続く。
随分とバイクが走り過ぎるようになった。
よく見ると、何台かの同じバイクが行ったり来たりしている。もう絶滅したと思っていた、走り屋さんだろう。カーブを、膝を擦りそうになりながら曲がっていた。
道端の金網には、まさかの遍路札が掛かっていた。この道で見掛けた、唯一の札である。裏をみると、掛けた方の名前が書かれており、日付は平成13年となっていた。
日和佐駅からの次の駅、山河内駅の辺りから四国の道が続き、ここで合流することになっている。
案内板には、誰かの手書きで「☓」印がつけられている。もしかしたら、通れなくなっているのかも知れない。
ここからはスカイラインを離れ、東海図版の四国遍路地図に掲載されている、より海に近いグネグネ道を進む予定である。
この辺り、クマ出没の真新しい看板があったので、持鈴を鳴らすなど、気を付けた方が良さそうである。
2017年05月18日
【3巡目-159】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その5〉[2016年8月13日]
道すがら丹念に眼鏡を探したのだが、とうとう見つからなかった。
この場所まで戻って見つからなかったら諦めることにしていたのだが、諦めきれずにもう1~200m先まで戻ってみる。やはり眼鏡は見つからなかった。
観念して、先へ進むことにした。
まさか自分がこういった目に遭うとは思わなかった。
宿に早く着きすぎるかと気を揉んでいたが、普通に夕方5時ごろとなりそうである。
ふと、頭陀袋のポケットを見て、ビックリしてしまった。
落としてしまったはずの眼鏡がしっかりと入っていた。ちゃんと確認したはずなのだが、どうして見落としてしまったのだろうか。ポケットの中で置き場所を変えて試してみたが、見落とすとは思えず不思議でならない。
それでも、頓馬な失敗をしてしまったことより、眼鏡が無事に見つかったことの方がうれしかった。
ただ、この失敗が原因なのか、暑い中を頑張って歩きすぎたせいか、その後、熱中症のような症状が出てくることになった。
2017年05月15日
【3巡目-158】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その4〉[2016年8月13日]
休憩を終え、出発する。宿には17時到着と伝えたが、歩きながら今の時間と宿までの距離を考える。
このままのペースでは、14時頃には着けそうである。もう少しゆっくり歩かなければ宿に早く着きすぎてしまう、海部町まで行けたかも知れないなあ、などと、余裕の考えが浮かぶ。
休憩後歩き出してから30分程経った頃、ふと眼鏡を掛けていないことに気が付いた。どこかに片づけたかな、とリュックや頭陀袋の中を探してみるが、見当たらない。
きっと、さっきの休憩場所に置き忘れたに違いない、と引き返すことにした。
落し物や忘れ物をして道を引き返す経験は、初めてではないだろうか。人の経験談では聞いた事があるが、実際に自分の身に降りかかってくると、かなりつらいものである。
30分程戻って、先程休憩した場所に戻って来た。丁寧に周囲を探すが、眼鏡は見つからなかった。もっと手前で落としてしまったのか、と目の前が真っ暗になりそうである。
1万円程で買った眼鏡である。予備の眼鏡も持ってきていたので、諦めて進むことも考えられたが、諦めきれずに、もう少し引き返して探してみることにした。
2017年05月12日
【3巡目-157】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その3〉[2016年8月13日]
昨夏、南阿波サンラインを歩いた話に戻ります。
高い橋を渡る。欄干も低く、少々怖いが、恐る恐る下を眺めたりしながら通過する。
少し上ると、第一展望台の入口となった。
50mほど先に駐車場やトイレが見えるが、歩いて立ち寄るには少々面倒で通過する。
約2時間後、再びこの辺りまで戻ってくることになるとは、夢にも思わなかった。
少し進んで、道路の広い路側帯の一角で一休みすることにした。ここで、今日の宿の予約の電話をする。
日和佐を出た後は、「みなみ旅館」などがある、海部辺りの宿に泊まるのが一般的だが、出発が少し遅かったことや、南阿波サンラインを歩き、遠回りをしていること、真夏の遍路なので、身体を慣らすことを考え、少し手前の宿をあたってみる。
まず、「海山荘」に電話してみると、満室との連れない返事が。たったそれだけでも少し落ちこんでしまう。
気を取り直して、へんろ道の復元にも取り組んでいると聞いた事がある「内妻荘」に連絡してみると、気持ち良くOKをもらった。
2017年04月26日
【3巡目-156】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その2〉[2016年8月13日]
あと50mくらいまで近付いた所で、南阿波サンラインとの分岐となった。
お盆のこの時期に出会える歩き遍路さんは、一人か二人くらいだろう。挨拶くらいは出来ればよかった。
今回見掛けた歩き遍路さんは、この方と、宿で一緒になった方の二人だけだった。
国道55号線から離れ、左折する。古くからの道ではないなあ、と感じる。
「サンライン」と名前がついていることから観光道路なのだろうが、滅多に車が追い抜いていかない。一昔前の観光地なのだろう。
道路は、勾配はあるが少しずつ高い所へと上って行く感じで、きつさは感じられなかった。
時間がある時には、こちらの道を歩いてみる選択があるだろう。
国道から30分弱でトンネルが見えてきた。これで上りは一旦終了だろうか、とホッとするが、この後も緩やかなアップダウンが続く。
トンネルを抜けると視界が開けるようになり、太平洋や、この先に続く道を眺められるようになった。
また、トンネルの上を通っているらしき四国のみちへの連絡路の案内もあった。
2017年04月22日
【3巡目-155】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その1〉[2016年8月13日]
三ヶ月前、離れた場所に再びやって来た。今回は室戸岬の辺りまで歩く予定である。
大師堂を参拝し、午前7時45分に(23)薬王寺を後にした。再び道の駅までやって来ると、歩き遍路の方が歩いて行くのが見えた。
今回見掛けた、初お遍路さんである。小さいリュックなので、わりと軽装である。
この方らしきお遍路さんには、翌日、海南町のお接待処、「かいつミルク」の所でもう一度見掛けることになる。
これから牟岐町までは、国道経由ではなく、海沿いの「南阿波サンライン」を歩くつもりである。
途中に商店などあるか分からないので、念のために買っておく。
準備が整った所で、本格的に歩きを開始する。普通に国道を進んだが、旧道らしき道もあることに後から気が付いた。そちらを歩いても良かっただろう。
遥か前方に、先程見掛けたお遍路さんが歩いている。かなりスローペースなようで、どんどん姿が大きくなってきた。
2017年04月18日
【3巡目-154】 第22回 区切り打ち 出発[2016年8月12・13日]
今回のお盆は5連休。4日間は歩くつもりだったのですが、8月初めから始まっていたオリンピックをのんびり観て過ごすのも良いなあ、と出立を迷いました。
出発当日までどうしようか、と悩んでいましたが、せっかくの長い休みなので、歩きに行くことに。
3日間歩いて、最終日は自宅でゆっくり過ごす、というプランを何となく考えておきました。
8月12日の金曜日の夜に出発、ガソリンを入れ、高速道路へ。
途中のPAやSAに立ち寄るも、お盆のラッシュで車を止めることが出来なかったり、営業終了したりしていて、お腹がすいてきました。
北陸自動車道から舞鶴若狭自動車道へと入り、西紀SAでようやく夕食タイム。
食堂のテレビではオリンピックの柔道をやっていました。
翌朝、5時半過ぎに出発、徳島市内を通り抜け、「道の駅日和佐」に到着したのは、7時15分頃でした。
今回は、二日ほどここの道の駅に車を止めさせてもらおうかと思ったのですが、写真のような横断幕が。
あまり、この「道の駅」を当てにする訳にはいかなさそうです。
2017年04月09日
【3巡目-153】 第21回 区切り打ち 帰宅[2016年5月9・10日]

車は無事に止まっていた。毎度のことながら、車が無くなっていたり、荒らされたりはしていないかと不安になる。
もう何度も書き込んでいるが、北陸と四国をつなぐ高速バスが開設されないものだろうか。
車に乗り込み、国道沿いの「ガスト」で夕食にした。肉やデザートを注文し、少々奮発する。
食事後は温泉へ。どこにどんな温泉があるのかも分からないので、前回も立ち寄った「八万温泉」へと向かった。
このコーナーをまとめて、本にしてもらえると面白いなあと思う。
鳴門ICから高速道路に乗り、綾部ICにて車中泊、翌日の昼前に金沢へと帰って来た。
[完]
本日のコースタイム
日和佐駅前16:20→







2017年04月06日
【3巡目-152】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その14〉[2016年5月9日]
那賀川に沿って走る国道をバスは進む。結構開けた山里を走る。
このバスは何のご縁か、昨日、「山口中」バス停から徳島駅へと向かう時に乗ったバスと同じ時刻のバスである。
まさか、同じ時刻のバスに、翌日も乗ることになろうとは、夢にも思わなかった。
那賀高校前に到着すると、貸し切りだったバスに、高校生が10人ほどだろうか乗り込んできて、賑やかになった。
昨日は、礼儀正しい好青年だったが、今日は、前方に座っている女子高生に絡んでいる、というか、ちょっかいを出している、と言えばよいのか。
面白かった。
30分ちょっとバスに揺られ、「東内上」で下車する。運転手さんが降り際に、少し歩けば道の駅です、と親切に言葉を掛けてくれた。
今朝歩き始めた、「道の駅わじき」へと無事に帰って来た。夕方の6時過ぎである。
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2017年04月03日
【3巡目-151】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その13〉[2016年5月9日]
40分ほどで、終点の川口に到着した。
川口バス停は、谷あいにあるバスの営業所となっており、徳島駅から来たバスと、さらに山奥の各方面へと向かうバスの乗り換えをする、結節点となっているようである。
ここからは、太龍寺の麓のロープウェイ乗り場の辺りや、阿瀬比を通って徳島駅へと向かうバスが走っている。
徳島駅行きのバスまでは時間があったので、周囲を散策したり、待合室で休ませてもらった。
この待合室、40年前にタイムスリップしたかのようで、こうした雰囲気が好きな者にとっては堪らない場所だった。大昔の路線図が残っていたりする。
休憩中に顔を合わせた運転手さんに、道の駅「鷲の里」ではなく「わじき」まで?、と念を押された。
太龍寺のロープウェイの所にある「鷲の里」までだったらまだ、納得出来ただろう。
道の駅「わじき」に車を止めてあることを話せばよかった。
トイレに向かうと、徳島駅行きの運転手さんとなる方に話し掛けられ、もうバスが止まっているので乗り込んでも良いことや、道の駅「わじき」へ行くなら、「東内上」というバス停で降りるのが一番近いとの事で、そのバス停で降ろしてもらうように頼むことが出来た。
2017年03月30日
【3巡目-150】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その12〉[2016年5月9日]
歩き方のコツなどを話したりして、珍しくアドバイス的なことをしたような気がする。
青年と別れ、「道の駅日和佐」の脇を通り、線路の反対側にある、日和佐駅のバス停へと向かった。
バスの時間を勘違いしていたようで、出発直前だった。もう少しのんびりしていたら乗り遅れてしまっていただろう。
恐らく、普段から乗る人が誰もいないのだろう。
自分一人を乗せて、川口行きのバスが発車した。
平日の夕方16時台ということで、途中で学生でもたくさん乗って来るのかと思ったが、結局終点まで一人っきりという寂しい状況だった。
果たして、このバスは存続していくのだろうか。
本日のコースタイム
道の駅「公方の里なかがわ」7:03→

道の駅「わじき」7:47→8:14大根峠→9:09(22)平等寺9:40→11:15ヘンロ小屋鉈打11:30→11:41弥谷観音11:47→15:12(23)薬王寺16:08→16:15日和佐駅
歩行距離:24.7km
歩数 :42294歩
最高気温:18.2℃
最低気温:15.4℃[日和佐]
2017年03月26日
【3巡目-149】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その11〉[2016年5月9日]
参拝後、休憩する場所を探すが、外のベンチなどは雨で濡れてしまっている。納経所手前の建物に、ひさしがあって、その下のコンクリートの石段は乾いている。
通り掛かる参拝客の目にさらされてしまうが、ここで一休みすることにした。
ぐっしょりと雨で濡れた靴下を脱いで、足を乾かす。
そこに通り掛かった参拝客から、足がふやけているのでは、と笑いながら声を掛けてくれた。確かに、足は真っ白になりひどい状態だった。
寺の入口に来ると、懐かしい顔と再会することになった。「ふれあいの里さかもと」で一緒だった、埼玉の青年である。
今日はこの辺りに泊まるのかなあ、とは思っていたのだが、自分より後に到着するとは思っていなかった。
何でも、脚を痛めてゆっくりペースで歩いて来たそうで、由岐経由だった、との事だった。
「ふれあいの里さかもと」での出来事で盛り上がる。
記事には書けなかったのだが、個性的なメンバーが揃っていた一夜だったからである。
日にちを置いての再会は、歩き遍路の楽しさであろう。
久し振りに、納札の交換をした。
2017年03月22日
【3巡目-148】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その10〉[2016年5月9日]
ここで一休みさせてもらおうと向かってみると、このヘンロ小屋も大根峠の小屋と同様、ベンチに雨水が溜まっており、座れそうになかった。
せっかく作って頂いたヘンロ小屋なので言いにくいのだが、少しの雨で利用出来なくなるのは、何とかならないだろうか。
諦めて出発する。
北河内駅の場所だけでも確認しておこうかと思ったが、国道沿いには見つからず、いつの間にか通り過ぎてしまっていた。
(23)薬王寺参拝者用の有料駐車場まであるが、恐らくもう営業していないだろう。少し先に、無料の大駐車場がある。
この辺りも昔はきっと、車を止める場所に悩むくらい賑わっていたに違いない。
午後3時12分、(23)薬王寺に到着した。
薬王寺は、40代前半の厄除けをお願いした、特別なお寺でもある。
1円玉の置いてある石段を、硬貨を踏まないよう、慎重に上り、本堂へと向かった。
2017年03月18日
【3巡目-147】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その9〉[2016年5月9日]
声を掛けてみる。60代だろうか。今日はどこまで、と尋ねてみると、美波まで、との事だった。日和佐のことだろう。
平成の大合併で美波町となったが、日和佐、の方が馴染みがある。
本日は、日和佐駅か手前の北河内駅からJRで桑野駅へと戻り、そこから路線バスで「道の駅わじき」へと戻る計画を立てている。
乗り継ぎを考えると、15時台の汽車を考えていた。
以前利用したことがある、川口行きのバス停だった。このバスを利用すれば、途中乗り換えをして、「道の駅わじき」まで戻れるはずである。
時刻表を見ると、16時台のバスがあった。このバスなら、(23)薬王寺を参拝しても乗ることが出来そうである、という事で、このバスを利用したプランに変更することにした。
なぜもっと早く、思いつかなかったのだろう。
バス停を過ぎると、懐かしい、「海賊舟」という飲食店のエンジ色の大きな建物が正面に見えてきた。
2017年03月14日
【3巡目-146】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その8〉[2016年5月9日]
今も営業しているのか気になっていたのだが、すっかり廃墟のようになってしまっていた。お遍路さんで賑わっていたのが嘘のようである。
中を覗いてみたりしてみるが、もう何年もやっていない印象だった。
結局、(22)平等寺から(23)薬王寺まで、国道55号線経由で歩く場合には、途中で食を調達出来ないということになるから、気を付けなければならない。
休憩場所がないかと歩き続ける。
雨降りなので、そこら辺に座り込んで、という訳にはいかない。
ちょうど国道沿いに、それ程古くはないが、人の気配がしない民家がある。庇の下が広くなっているので、雨を避けて一休み出来そうである。
ここで休ませてもらうことにした。なかなか快適だった。
休憩を終え、再び歩き始める。自転車の旅人が、声を掛けて通り過ぎて行った。
少し先にCAFEの看板があった。本日は営業してなさそうだったが、一角に小さな休憩所があった。今休んだばかりなので通過する。全く休む場所は無いと記憶していたが、新しく出来たのかも知れない。
2017年03月10日
【3巡目-145】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その7〉[2016年5月9日]
敷地内には、ゆるぎ石という、オブジェのような石もあった。
本尊如意輪観世音のお札をお持ち帰り下さい、と貼り紙があり、ポストにお札があった。最後の一枚だったので気が引けたのだが、頂くことにした。
車道へと戻り、(23)薬王寺に向けて国道を目指す。アップダウンがあり、意外ときつい道を歩き、20分ほどで国道55号線に戻って来た。
国道から弥谷観音への道に入り、戻ってくるまでの間、一台の車にもすれ違わなかった。
通り過ぎる車が、極端に少なくなってしまっていた。
シトシト雨の中を歩き続ける。
ようやく、簡素な休憩所が道端に見えてきた。
一休みしようかと思ったがバイクが止まっており、地元の方だろうか、休憩していた。入りづらく、通過することにした。
前方に、星越トンネルが見えてきた。
今回は、へんろ地図にも掲載されている、旧道の方を歩きたいと考えていたのだが、いつの間にか、峠への入口を通り過ぎてしまっていたようである。
天候や疲れもあり、星越峠はあっさりと諦めてトンネルを利用した。
2017年03月06日
【3巡目-144】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その6〉[2016年5月9日]
定期的に掃除してくれている方がいるのだろう、前回はゴミが散乱していたが、今回は利用に支障はなかった。
ほぼ一緒に到着したお遍路さんは、お先に、とあいさつして、早々に出発していった。今日はどこまで歩くのだろうか。
ヘンロ小屋を出発、少し戻って、「弥谷観音」を目指す。「へんろ道保存協力会」の遍路札が、文字は薄くなっているものの、何とか残っていた。
右へあと200m、という一般の看板があったのだが、協力会の道しるべは左へとの指示が出ていたので、そちらに従うことにした。
再び階段を上り、車道に戻って来た。元気が無い場合には、そのまま車道を進んでいいかも知れない。
シトシトと降る小雨の中、「弥谷観音」に到着した。
全く人気は無い。土の駐車場の一角にプレハブの納経所があるのが印象的だ。
中を覗いてみるが、もちろん人の姿は無かった。
何か、行事がある時だけ開かれる納経所だろうか。
「弥谷観音」は、道路沿いでは無く、少し斜面を上った所にあるようである。このまま通り過ぎようかと一瞬躊躇したが、せっかくここまで来たのだから、ひと踏ん張りして上ることにした。
2017年03月02日
【3巡目-143】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その5〉[2016年5月9日]
またも、逆打ちのお遍路さんとすれ違った。今朝、(23)薬王寺辺りの宿を出た人たちだろう。
こうした、人気の無い場所で歩き遍路の方とすれ違うと、元気が出てくる。
再び雨が降り出し、寂しい感じだったので、尚更である。
鬱蒼とした車道を歩いて来たが、開けた場所へと出て来た。
広い道となるが、国道の旧道になるのだろうか、通り過ぎる車はいない。
こんな人里離れた場所に運送会社があり、たくさんトラックが止まっている。
ここから国道に出るまで、距離は短いが少し面白い道となる。
脇道へと入ると、頭上には国道が走っており、隠れ家のようにポツンと家が建っている。

今回は、「弥谷観音」を目指す予定である。入口を探しながら歩く。トンネルを一つくぐると右手に、「弥谷観音」へ向かう道があった。
その少し先に、「ヘンロ小屋第4号鉦打」が見えており、一休みさせてもらうことにした。
気が付くと、一人のお遍路さんが前を歩いていた。(21)太龍寺に到着した時に、入れ替わりに出発していった、お接待の車の中からも姿が見えていた方である。
脚を痛めたのか、かなりのスローペース、あっという間に追いついて、ほぼ同時にヘンロ小屋に到着した。
2017年02月26日
【3巡目-142】 道の駅わじきから、22番平等寺、国道経由、23番薬王寺まで 〈その4〉[2016年5月9日]
おばあさんがやっているようで、近所の方も遊びに?来ており、一声掛けてくれる。
昼食になりそうな、パンとちくわを購入する。
ちくわはナイロン袋にはいっており、賞味期限が切れたものを入れ替えたような雰囲気、値段が書いてなかったので安いかなあ、と期待するも、安くはなかった。
11年前に国道経由で(23)薬王寺まで歩いた時には、星越峠の先に「みどり」という食堂があり、利用させてもらったが、食事処としてはそこしか思い浮かばない。今もやっているだろうか。
(20)鶴林寺から(23)薬王寺にかけては、宿も無いが食事にも困る、難関地帯である。
都会でもなく、田舎という程でもなく、車道を淡々と歩く。
逆打ちの方とすれ違い、あいさつを交わす。やはり今年は、逆打ちの方が多い印象だ。
「月夜御水庵」からは、里の道から山の方へと入って行く。
すっかり人気のなくなった山道であり、不法投棄禁止の看板が目立っている。
道路の法面のコンクリートは、これまで同様、苔で覆われており、それを利用して文字が書かれていた。
「同行二人」と書いてあるように見えるから、きっとお遍路さんが書き残していったものだろう。