2019年10月06日
【3巡目-441】 野井坂へんろ道③ [2017年8月28日]〈その6〉
木のベンチがあり、眼下の谷間の風景が眺められる場所があった。
一息つくには良い場所だったのだが、根性で上っている最中である。折角のベンチなので、一瞬腰を下ろして、すぐに出発した。
一休みしたい所を我慢して進み、擁壁の場所から17分で峠らしき場所にたどり着いた。気合で何とかなるものである。
野井坂と言えば主要な道路だったと聞いてはいるが、峠のお地蔵さんのような石仏などが全く見当たらなかった。途中の道沿いにも全く無かったので、本当に昔からの道なのかなあ、という印象だった。
峠らしき場所を下ると、再び炭焼き窯のような遺構がある。
道を5分ほど下ると、下方に簡易トイレがある、少し開けた場所に出てきた。
野井坂へんろ道に関する説明板があり、隅っこに遍路シールも貼られていた。大正時代に今の県道が開通するまでは、重要な生活道路として使われていたそうである。
山道を下る。一か所、巨木が道を塞いでいた。大きく脚を上げて、跨いで通過する。
説明版の場所から15分で、「野井坂登り口」と書かれた新しい看板の所に到達した。
一息つくには良い場所だったのだが、根性で上っている最中である。折角のベンチなので、一瞬腰を下ろして、すぐに出発した。
一休みしたい所を我慢して進み、擁壁の場所から17分で峠らしき場所にたどり着いた。気合で何とかなるものである。
野井坂と言えば主要な道路だったと聞いてはいるが、峠のお地蔵さんのような石仏などが全く見当たらなかった。途中の道沿いにも全く無かったので、本当に昔からの道なのかなあ、という印象だった。
峠らしき場所を下ると、再び炭焼き窯のような遺構がある。
道を5分ほど下ると、下方に簡易トイレがある、少し開けた場所に出てきた。
野井坂へんろ道に関する説明板があり、隅っこに遍路シールも貼られていた。大正時代に今の県道が開通するまでは、重要な生活道路として使われていたそうである。
山道を下る。一か所、巨木が道を塞いでいた。大きく脚を上げて、跨いで通過する。
説明版の場所から15分で、「野井坂登り口」と書かれた新しい看板の所に到達した。
Posted by こいったん at 23:56│Comments(0)
│お遍路 第三拝(愛媛)