2019年11月13日
【3巡目-458】 歯長隧道、43番明石寺まで [2017年8月29日]〈その8〉
「四国のみち」にもなっている森の中の歩きの道を下り、車道へと出てきた。
砂利採取場のような所に、中学校の跡地の記念碑があった。
家も何も無い一帯で、不思議であった。
幅の広いヘアピンカーブで、歯長峠からの遍路道と合流、さらに下って行くと、橋の袂にお馴染みの東屋があった。
「お遍路さん、お茶どうぞ」と、大きな垂れ幕がぶら下がっていた。ちょうどここで休んでいくつもりだったので、立ち寄ることにした。
50代くらいの地元の方が、缶コーヒーやお茶、羊羹やアメなどを提供してくれていた。
毎週火曜日が仕事の休みとの事で、週に一回、この日にお接待しているそうで、たまたまその日に当たったようである。
今回の遍路旅では、今日の午前中に、逆打ちの外人の歩き遍路さんを見掛けただけである。
この方の話によると、お接待所開設前に1人が通過し、その後大学生の二人組とフランス人の二人組が立ち寄ったそうで、少ないながらも歩きの人はいるようであった。
昨日から誰とも出会っていなかったこともあってか、ペラペラと30分程も話をしてから、休憩所を後にした。
砂利採取場のような所に、中学校の跡地の記念碑があった。
家も何も無い一帯で、不思議であった。
幅の広いヘアピンカーブで、歯長峠からの遍路道と合流、さらに下って行くと、橋の袂にお馴染みの東屋があった。
「お遍路さん、お茶どうぞ」と、大きな垂れ幕がぶら下がっていた。ちょうどここで休んでいくつもりだったので、立ち寄ることにした。
50代くらいの地元の方が、缶コーヒーやお茶、羊羹やアメなどを提供してくれていた。
毎週火曜日が仕事の休みとの事で、週に一回、この日にお接待しているそうで、たまたまその日に当たったようである。
今回の遍路旅では、今日の午前中に、逆打ちの外人の歩き遍路さんを見掛けただけである。
この方の話によると、お接待所開設前に1人が通過し、その後大学生の二人組とフランス人の二人組が立ち寄ったそうで、少ないながらも歩きの人はいるようであった。
昨日から誰とも出会っていなかったこともあってか、ペラペラと30分程も話をしてから、休憩所を後にした。
Posted by こいったん at 23:56│Comments(0)
│お遍路 第三拝(愛媛)