2011年08月08日
【43】歩き遍路 7日目〈その1〉[2011年5月1日]
朝食は6時半からだったので、少し早目の10分前に食堂に行ったがまだ準備中だったので、ロビーでしばらく待つことにした。
昨夜お風呂でも顔を合わせた、家族連れのおじいさんと話をする。夕食の時、おじいさんと子供二人で食事をしていたので、変わった組み合わせだなあ、と思っていたが、高知県から来られ、孫二人と車で礼所を周っているとの事だった。
確か、若い時からお参りをはじめ、これまでに100回くらい周った、昔の礼所は納経時間は決まっていなかった、などという話をされていたと思う。
愛知のBさんは食事をせずに出発していかれたが、昨夜見かけなかった方が席に着いていた。
Iさんは食事を終えるとすぐに出発していき、これがお別れとなった。昨日、(20)鶴林寺は打ち終えているので、今日はお寺に寄らずに山越えして進むそうだ。
←鶴林寺への道
朝7時に宿を出発する。しばらくは集落の中の道だったが、すぐに山越えの道となる。
写真のように、石垣に囲まれた変わった区間もあった。
まだ目覚めていない身体にいきなりの坂道はとてもきつい。(20)鶴林寺、(21)太龍寺への道は「へんろころがし」と言われているが、それ程時間はかからないので、大したことはない、とたかをくくっていた面があった。
途中の「水呑大師」で一人の歩きの方に追い付き、あいさつを交わした。
6年前は、水が湧き出ている場所かも、と期待していたが、たまり水があるだけだった。今回も同じような感じだった。
山道を上り続け、尾根らしき場所に出ると、山の向こう側、これからまた山を下って渡らなければならない那賀川とその周辺の景色がきれいに見えた。ほんの少しだけリュックを下ろして休憩した。
「金子や」を出てちょうど1時間の朝8時、(20)鶴林寺の山門にたどり着いた。
昨夜お風呂でも顔を合わせた、家族連れのおじいさんと話をする。夕食の時、おじいさんと子供二人で食事をしていたので、変わった組み合わせだなあ、と思っていたが、高知県から来られ、孫二人と車で礼所を周っているとの事だった。
確か、若い時からお参りをはじめ、これまでに100回くらい周った、昔の礼所は納経時間は決まっていなかった、などという話をされていたと思う。
愛知のBさんは食事をせずに出発していかれたが、昨夜見かけなかった方が席に着いていた。
Iさんは食事を終えるとすぐに出発していき、これがお別れとなった。昨日、(20)鶴林寺は打ち終えているので、今日はお寺に寄らずに山越えして進むそうだ。
←鶴林寺への道
朝7時に宿を出発する。しばらくは集落の中の道だったが、すぐに山越えの道となる。
写真のように、石垣に囲まれた変わった区間もあった。
まだ目覚めていない身体にいきなりの坂道はとてもきつい。(20)鶴林寺、(21)太龍寺への道は「へんろころがし」と言われているが、それ程時間はかからないので、大したことはない、とたかをくくっていた面があった。
途中の「水呑大師」で一人の歩きの方に追い付き、あいさつを交わした。
6年前は、水が湧き出ている場所かも、と期待していたが、たまり水があるだけだった。今回も同じような感じだった。
山道を上り続け、尾根らしき場所に出ると、山の向こう側、これからまた山を下って渡らなければならない那賀川とその周辺の景色がきれいに見えた。ほんの少しだけリュックを下ろして休憩した。
「金子や」を出てちょうど1時間の朝8時、(20)鶴林寺の山門にたどり着いた。
Posted by こいったん at 20:58│Comments(0)
│お遍路 第二拝(徳島)