2011年04月26日
【27】歩き遍路 3日目〈その12〉[2011年2月13日]
←植村旅館
1階には二部屋。食事をする部屋があり、その隣が我々の泊まる部屋である。
自室に入るには、食事部屋を通る仕組みとなっている。
茨城のOさんの後に入浴し、食事部屋を通ると、すでに夕食が始まっていた。
本日の宿泊者は、Oさん・山形のSさん・滋賀のTさん・三重のRさん・自分の5名である。
4人とも、通し打ちである。普通なら肉刺が出来た、とか脚が痛い、疲れたなど話題に上ってもいいはずなのだが、皆さん至って元気である。6年前の自分の姿とは大違いであり、健脚揃いだ。
後日談になるが、その後もこの4人の皆さんは、リタイヤすることなく、元気に歩き続けたそうである。
今日が今回の遍路旅、最後の夜である。
Oさんはいつも夕食の時、熱燗をたしなんでいる。自分も久しぶりに日本酒を飲むことにした。
Sさんは熊野古道を歩いたこともあるそうだ。熊野古道と言えば、色々な道があり、どうやって一周するのかよく分からなかったのだが、紀伊半島の各地から内陸にあるお寺に向かう道であり、四国遍路のようにグルリと周る訳では無いそうだ。
Tさんは、どちらかと言えば、無口で物静かな印象の方である。滋賀県の北部、北陸寄りの所にお住いで、61才との事(後で納札を交換して知った)。
Rさんは、伝え聞きではあるが、仕事を辞めて自宅の寺を継ぐことになっているそうで、(12)焼山寺への山道では、お経を唱えながら登っていたそうだ。20代後半か30代前半の方かと思ったが、後で自分より年上の46才と知ってビックリした。
食事を終え、隣の自室に戻る。お互いに明日の準備や書き物をしてマイペースに過ごす。
途中、2階から山形のSさんが下りてきて、一緒に焼山寺を越えた記念に、と納札を交換するために部屋へ来てくれた。
準備が終わると、OさんはNHKの大河ドラマ「江」を見ていた。
何とも平和に夜は更けていく。
植村旅館:一泊二食 6800円(相部屋料金) ※一人の場合は若干プラス
宿泊客:歩き遍路5名
1階には二部屋。食事をする部屋があり、その隣が我々の泊まる部屋である。
自室に入るには、食事部屋を通る仕組みとなっている。
茨城のOさんの後に入浴し、食事部屋を通ると、すでに夕食が始まっていた。
本日の宿泊者は、Oさん・山形のSさん・滋賀のTさん・三重のRさん・自分の5名である。
4人とも、通し打ちである。普通なら肉刺が出来た、とか脚が痛い、疲れたなど話題に上ってもいいはずなのだが、皆さん至って元気である。6年前の自分の姿とは大違いであり、健脚揃いだ。
後日談になるが、その後もこの4人の皆さんは、リタイヤすることなく、元気に歩き続けたそうである。
今日が今回の遍路旅、最後の夜である。
Oさんはいつも夕食の時、熱燗をたしなんでいる。自分も久しぶりに日本酒を飲むことにした。
Sさんは熊野古道を歩いたこともあるそうだ。熊野古道と言えば、色々な道があり、どうやって一周するのかよく分からなかったのだが、紀伊半島の各地から内陸にあるお寺に向かう道であり、四国遍路のようにグルリと周る訳では無いそうだ。
Tさんは、どちらかと言えば、無口で物静かな印象の方である。滋賀県の北部、北陸寄りの所にお住いで、61才との事(後で納札を交換して知った)。
Rさんは、伝え聞きではあるが、仕事を辞めて自宅の寺を継ぐことになっているそうで、(12)焼山寺への山道では、お経を唱えながら登っていたそうだ。20代後半か30代前半の方かと思ったが、後で自分より年上の46才と知ってビックリした。
食事を終え、隣の自室に戻る。お互いに明日の準備や書き物をしてマイペースに過ごす。
途中、2階から山形のSさんが下りてきて、一緒に焼山寺を越えた記念に、と納札を交換するために部屋へ来てくれた。
準備が終わると、OさんはNHKの大河ドラマ「江」を見ていた。
何とも平和に夜は更けていく。
植村旅館:一泊二食 6800円(相部屋料金) ※一人の場合は若干プラス
宿泊客:歩き遍路5名
Posted by こいったん at 20:25│Comments(0)
│お遍路 第二拝(徳島)