2015年10月29日
【3巡目-35】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その13〉[2015年1月11日]
堤防道を少し戻ると、「粟島渡し跡」の石碑と案内板があった。
この辺りには、「光明庵」という番外札所もあったそうである。
へんろ地図では、この場所に直接行ける赤い点線が書いてあるが、それらしき道は見当たらなかった。
県道122号に沿った堤防道に点線を書くのが正解のような気がする。
ここからは地図通りに進んで行く。
堤防を下りて程なく、面白い石標があった。
(11)藤井寺への標石なのだが、一方には「西オエ駅 九丁」と彫り込まれていた。一部カタカナになっている所や、古い標石で、駅へと案内しているものはあまり記憶にない。
この先にも、短い区間に標石が複数あった。こちらの方が本来の遍路道と思われるが、川島橋を渡ったお遍路さんは、右の道の方へと誘導されてしまうようである。
JRの頭がつかえてしまいそうな、レンガ造りの天井の低いトンネルをくぐる。丁度、汽車が走り去って行った。
国道192号線を横断し、県道へと入る。どこかその辺りで、標石があったのだが、明治時代の石碑で、箸蔵寺と書かれていた。またも、箸蔵寺の凄さを知ることとなった。
この辺りには、「光明庵」という番外札所もあったそうである。
へんろ地図では、この場所に直接行ける赤い点線が書いてあるが、それらしき道は見当たらなかった。
県道122号に沿った堤防道に点線を書くのが正解のような気がする。
ここからは地図通りに進んで行く。
堤防を下りて程なく、面白い石標があった。
(11)藤井寺への標石なのだが、一方には「西オエ駅 九丁」と彫り込まれていた。一部カタカナになっている所や、古い標石で、駅へと案内しているものはあまり記憶にない。
この先にも、短い区間に標石が複数あった。こちらの方が本来の遍路道と思われるが、川島橋を渡ったお遍路さんは、右の道の方へと誘導されてしまうようである。
JRの頭がつかえてしまいそうな、レンガ造りの天井の低いトンネルをくぐる。丁度、汽車が走り去って行った。
国道192号線を横断し、県道へと入る。どこかその辺りで、標石があったのだが、明治時代の石碑で、箸蔵寺と書かれていた。またも、箸蔵寺の凄さを知ることとなった。
Posted by こいったん at 21:38│Comments(0)
│お遍路 第三拝(徳島)