2014年09月23日
【419】歩き遍路46日目〈その6〉[2012年6月27日]
ちょうど昼時だったので、「おへんろ交流サロン」の一角で、「栄荘」からお接待で頂いた、おにぎりやゆで玉子、果物などを食べさせてもらった。
1時間以上ゆっくりと過ごし、スタッフの方と記念撮影をして出発した。
松山のOさんや広島のお姉さんは別ルートを歩くようで、女体山を越えるのは自分だけのようである。
交流サロンで貰った「へんろ道マップ」では、四国のみちコース、へんろ地図でいうと来栖神社を通るルートを歩くことになる。
出発して程なく、道しるべに従って左に入る。いよいよ結願への道へと進んでいく。
もう少し直進していれば、「遍路道中物故者供養碑」があるようである。
細い車道から、指示通りに渓谷沿いの小道に入っていく。薄暗い道を歩いていると、突然、立入禁止になってしまった。
ここまで来ていきなり立入禁止とは困る‥‥すんません、そのまま突き進んで行く。堤の一部がやや崩れかかっている場所があり、ここが原因のようだ。
すぐに車道に合流した。今にして思えば、渓谷沿いの歩いて数分程度の、ほんの短い区間が通行止めだったようで、ちょっと戻ってそのまま細い車道を歩いていれば問題は無かったようである。女体山への道が行けないのかとあせってしまった。
1時間以上ゆっくりと過ごし、スタッフの方と記念撮影をして出発した。
松山のOさんや広島のお姉さんは別ルートを歩くようで、女体山を越えるのは自分だけのようである。
交流サロンで貰った「へんろ道マップ」では、四国のみちコース、へんろ地図でいうと来栖神社を通るルートを歩くことになる。
出発して程なく、道しるべに従って左に入る。いよいよ結願への道へと進んでいく。
もう少し直進していれば、「遍路道中物故者供養碑」があるようである。
細い車道から、指示通りに渓谷沿いの小道に入っていく。薄暗い道を歩いていると、突然、立入禁止になってしまった。
ここまで来ていきなり立入禁止とは困る‥‥すんません、そのまま突き進んで行く。堤の一部がやや崩れかかっている場所があり、ここが原因のようだ。
すぐに車道に合流した。今にして思えば、渓谷沿いの歩いて数分程度の、ほんの短い区間が通行止めだったようで、ちょっと戻ってそのまま細い車道を歩いていれば問題は無かったようである。女体山への道が行けないのかとあせってしまった。
Posted by こいったん at 20:15│Comments(4)
│お遍路 第二拝(香川)
この記事へのコメント
こんにちは
お部屋、リニューアルですか・・・。壁紙が違ったのでびっくり。
結願の道、歩きでは女体山越えと花折れ越えのいずれかですが、どうやら確率は半々程度と推察されます。
私見ですが、単調だったけれど花折れ道の方が思い出深いですね。へんろ道保存協力会の道しるべは皆無。再現古道のケースを例外とすれば、協会の道しるべを目にしない道行き、稀な経験でした(別格を歩いている身には別段珍しくもないことなんですけれど・・・)。
見所はまたご報告しましょかね・・・。
お部屋、リニューアルですか・・・。壁紙が違ったのでびっくり。
結願の道、歩きでは女体山越えと花折れ越えのいずれかですが、どうやら確率は半々程度と推察されます。
私見ですが、単調だったけれど花折れ道の方が思い出深いですね。へんろ道保存協力会の道しるべは皆無。再現古道のケースを例外とすれば、協会の道しるべを目にしない道行き、稀な経験でした(別格を歩いている身には別段珍しくもないことなんですけれど・・・)。
見所はまたご報告しましょかね・・・。
Posted by 越前おろしそば at 2014年09月24日 17:11
こんばんは。壁紙はしばらくしたらまた以前のものに戻す予定です。たま~に変えたくなります。
大窪寺へのもう一方の道は、今年の2月に歩きました。協会の道しるべは入口と出口だけだったかなあと思います。
ところで、花折れ道というのは、地道の2km部分だけと認識しているのですが、他のブログなどでは、「道の駅ながお」から「額峠」辺りまでの道全体をそう呼んでいる方が多いようで‥‥、そちらが正解なのでしょうかね。
大窪寺へのもう一方の道は、今年の2月に歩きました。協会の道しるべは入口と出口だけだったかなあと思います。
ところで、花折れ道というのは、地道の2km部分だけと認識しているのですが、他のブログなどでは、「道の駅ながお」から「額峠」辺りまでの道全体をそう呼んでいる方が多いようで‥‥、そちらが正解なのでしょうかね。
Posted by こいったん at 2014年09月24日 20:41
こんにちは
「花折れ道」は一体どこからどこのことをさすのでしょうか?私も疑問に思っていました。私見では、大窪寺まで(「交流サロン」発行の地図で言えば②のルート)だと認識しています。(一部、近年開発された③の山道を含めて)
ただ、多和小学校以降の道、ところどころに丁石は残るものの容易に歩けそうもなく、旧国道377号線を歩きましたが・・・。
花折という地名は、山ひとつ向こうの集落名でこのルートには存在しないようです。「道半ばで倒れた遍路の供養に野の花を手折って手向けた」との言い伝えからこんなロマンある名を冠したとかです。
「結願」の賑やかな遍路札の出迎えを受けることなく、突然に大窪寺の仁王門が視界に飛び込んできた瞬間は、静かな感動を覚えました。
「花折れ道」は一体どこからどこのことをさすのでしょうか?私も疑問に思っていました。私見では、大窪寺まで(「交流サロン」発行の地図で言えば②のルート)だと認識しています。(一部、近年開発された③の山道を含めて)
ただ、多和小学校以降の道、ところどころに丁石は残るものの容易に歩けそうもなく、旧国道377号線を歩きましたが・・・。
花折という地名は、山ひとつ向こうの集落名でこのルートには存在しないようです。「道半ばで倒れた遍路の供養に野の花を手折って手向けた」との言い伝えからこんなロマンある名を冠したとかです。
「結願」の賑やかな遍路札の出迎えを受けることなく、突然に大窪寺の仁王門が視界に飛び込んできた瞬間は、静かな感動を覚えました。
Posted by 越前おろしそば at 2014年09月25日 15:17
こんばんは。地図の③の山道のみを花折道と考えていましたが、大窪寺までの②のルートをそう呼んでも良さそうな感じですね。
最近になって名付けられたルート名で、花折という響きの良い名前を拝借した、ということのような気がしてきました。ありがとうございます。
大窪寺の仁王門が見える瞬間は、きっと感動するだろうなあと思います。やっぱり、女体山から降りてきて、気が付くと境内の中、というのは今一つですね。
最近になって名付けられたルート名で、花折という響きの良い名前を拝借した、ということのような気がしてきました。ありがとうございます。
大窪寺の仁王門が見える瞬間は、きっと感動するだろうなあと思います。やっぱり、女体山から降りてきて、気が付くと境内の中、というのは今一つですね。
Posted by こいったん at 2014年09月25日 20:28