2014年10月01日

【421】歩き遍路46日目〈その8〉[2012年6月27日]

【421】歩き遍路46日目〈その8〉[2012年6月27日]少し車道を進む。通る車は無い。
一巡目の時には、この辺りの人気の無い所で、麓の町から車で涼みに来ていたおじいさんがおり、飲み物を頂いて休憩した場所がある。

宿への到着は遅くなりそうだし、これ以上山道を歩けそうになく、もうダメかと諦めかけていたのだが、ここで一休みしたことで、何とか女体山を越えて、夕方遅くに(88)大窪寺に到達出来た。

その休憩した場所を探しながら歩いたのだが、なぜなのか、どこだったか特定出来なかった。あれは、お大師様による夢の出来事だったりして。

【421】歩き遍路46日目〈その8〉[2012年6月27日]再び歩きの道となるが一旦車道を横切って、また歩きの山道となる。
有名な岩場を、這うように登る。岩に取っ手が付いた場所を上り切り、女体山(763m)の山頂へ、元気に到達した。

今日は天候が良いので、瀬戸内海の島々まで見渡すことが出来た。山と平地の境目には、先ほど側を歩いてきた前山ダムも見えている。

今朝、あの遥か彼方の麓の町から、歩いてここまで来たというのが信じられない。

何枚も記念写真を撮り、出発する。少し先に東屋がある。この辺りが女体山の本当の頂上のようである。



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この記事へのコメント
こんにちは

ちょうど一巡目の三坂峠での出来事。お接待の声かけで、遍路道を少し外れ閉鎖中のレストランへ招かれました。ここのオーナーで修験者の「長五郎」氏と二時間ばかり中二階の隠れ小部屋で談笑。
「女体山は修験道の道で、花折れ道は遍路道と聞くが・・・」。まだ見ぬ結願の道を訊ねると「女体山は散歩道みたいなもの」と一笑に付された。あれは修験者の矜持だったんでしょうね。
空海も修験者だったわけで、四国での修験者の歴史は遍路をはるかに越えてます。考えれば、遍路の白装束、修験者装束を踏襲しているとも見えますね。

女体山越えではそんな三坂峠での出会いを思い出しました。あの閉鎖レストランや隣接の遍路接待所はどうなったのかな・・・。
無事売却に売却されたのかな・・・?
Posted by 越前おろしそば at 2014年10月02日 10:15
こんばんは。修験者の長五郎さんなる怪しげな?方がいらしたのですか。レストランは分かりませんが、遍路接待所は二回立ち寄ってみたのですが、中に入れませんでした。売却予定だったのですね。

女体山は本来の遍路道じゃない、という思いがありましたが、空海も修験者だったという言葉を聞くと、少し認識が変わってきます。
Posted by こいったんこいったん at 2014年10月02日 21:05
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