2014年11月05日
【431】歩き遍路47日目〈その3〉[2012年6月28日]
ダム横の道を降りてくると、写真の場所に出た。この道で正解だったようだ。
すぐに水主神社があるが、通過する。後で東海図版の地図を見ると、祈り杉という、樹齢800年のスギの樹があるとの事、立ち寄っておけば良かった。
この先、道しるべが少なく、自力で地図を見ながら歩いていくことになるが、何ヶ所かで遍路シールの痕跡があった。以前は貼ってあったシールが、真っ白になっていたり、時間の経過とともに剥がれてしまったのだろう。
県道から旧道らしき道に入る。農作業風景を見ながら、のんびりと歩く。
家が連なるようになる。与田川を渡るが、これも沈下橋というのだろうか、何やら工事中の川を渡る。
再び県道に出る所で、ガードレールにお久しぶりの遍路シールがあった。県道を歩くとすぐに、またまた左折の遍路シールがあった。へんろ地図の左折よりも少し手前だが、これに従った。
いつもだったらへんろ地図の赤い線にこだわるのだが、やっと見つけたシールにうれしかったのだろうか。
高松自動車道が通っており、大内バスストップの案内もある。今回は、このバス停から帰宅することになる。與田寺はもうすぐである。
すぐに水主神社があるが、通過する。後で東海図版の地図を見ると、祈り杉という、樹齢800年のスギの樹があるとの事、立ち寄っておけば良かった。
この先、道しるべが少なく、自力で地図を見ながら歩いていくことになるが、何ヶ所かで遍路シールの痕跡があった。以前は貼ってあったシールが、真っ白になっていたり、時間の経過とともに剥がれてしまったのだろう。
県道から旧道らしき道に入る。農作業風景を見ながら、のんびりと歩く。
家が連なるようになる。与田川を渡るが、これも沈下橋というのだろうか、何やら工事中の川を渡る。
再び県道に出る所で、ガードレールにお久しぶりの遍路シールがあった。県道を歩くとすぐに、またまた左折の遍路シールがあった。へんろ地図の左折よりも少し手前だが、これに従った。
いつもだったらへんろ地図の赤い線にこだわるのだが、やっと見つけたシールにうれしかったのだろうか。
高松自動車道が通っており、大内バスストップの案内もある。今回は、このバス停から帰宅することになる。與田寺はもうすぐである。
Posted by こいったん at 22:03│Comments(2)
│お遍路 第二拝(香川)
この記事へのコメント
こんにちは
東讃の東半分のこの地域(東かがわ市)は、その昔はお遍路ゾーンだったらしいですが、今訪れる遍路の数は激減したとか・・・。路傍のお年よりが懐かしい昔日を思い出すよう、語りかけてきます。こんな、非お遍路ゾーン、遍路なれした四国とはまた違う一面を見せてくれるから好きだなあ。
結願間近の紀行を読ませていただきながら、ふと思いました。結願は「打ち留め」、遍路の終焉の打ち留めを「結願」と呼びたいなと・・・。
東讃の東半分のこの地域(東かがわ市)は、その昔はお遍路ゾーンだったらしいですが、今訪れる遍路の数は激減したとか・・・。路傍のお年よりが懐かしい昔日を思い出すよう、語りかけてきます。こんな、非お遍路ゾーン、遍路なれした四国とはまた違う一面を見せてくれるから好きだなあ。
結願間近の紀行を読ませていただきながら、ふと思いました。結願は「打ち留め」、遍路の終焉の打ち留めを「結願」と呼びたいなと・・・。
Posted by 越前おろしそば at 2014年11月06日 16:33
こんばんは。この辺りを歩くお遍路さんが激減した理由は、交通機関の変化によるものなのでしょうか。
昔のお遍路さんは、上陸した港に再び戻って帰ることになるので、必然的に四国一周することになり、この辺りにもお遍路さんがたくさん歩いていたのですかね。現代のように大窪寺で終了、ということも無かったのでしょう。
遍路の終焉が結願となると、結願が人生の終焉のような感じで少々寂しい気もします。
昔のお遍路さんは、上陸した港に再び戻って帰ることになるので、必然的に四国一周することになり、この辺りにもお遍路さんがたくさん歩いていたのですかね。現代のように大窪寺で終了、ということも無かったのでしょう。
遍路の終焉が結願となると、結願が人生の終焉のような感じで少々寂しい気もします。
Posted by こいったん at 2014年11月06日 21:37