2014年11月08日
【432】歩き遍路47日目〈その4〉[2012年6月28日]
與田寺は、厄払いのお寺として知られているようである。へんろ地図では、「よたじ」となっているが、お寺でもらったビラには「よだじ」となっており、「た」は濁るようである。
先にトイレを済ませてから参拝する。きれいなトイレだった。平地にあるが、わりと広い境内となっている。山門をくぐると、中程にもう一つ鐘楼堂がある。
ヒモが垂れているので何かと思ったら、これを思いっ切り引っ張ると鐘が鳴るようだった。静かなお寺で、大きく鳴らす勇気は無かった。
右手の丘の上にもお寺の敷地が広がっているので、散策する。
古い小さな建物があり、文字は消えかかっているが大師堂と書かれてある。本尊 弘法大師 不動明王とも書いてある。
ここが本来の大師堂で、般若心経を唱えなければならないのか、と迷ってしまった。
境内では、寺男さんがあっちこっちと作業をしている。寺男という仕事に憧れるのだが、どうなのだろうか。
納経所へ行くと、お寺の奥さんが対応してくれた。いつもは字の上手な係の方がいるそうだが、今日はお休みとの事だ。墨を磨りながら、色々と話を聞かせてくれた。
参拝後は、山門脇のベンチでゆっくりと一休みした。
Posted by こいったん at 23:10│Comments(2)
│お遍路 第二拝(香川)
この記事へのコメント
こんにちは
「満願」おめでとうございました。
この「與田寺」、なぜ総奥の院と呼ばれるのかはっきりした解答に出会ったことはなく、今でも疑問なんです。
三本松や引田は陸路よりも海路に開け、瀬戸の対岸への風待ち港として栄えた歴史から推測すると、四国を離れる遍路の惜別の思いからそのように呼ばれたのでしょうかね・・・。
こいったんさんもそんな古の遍路の情を感じ取られことでしょう。
さあ、二順目のおまけの報告も拝見したく、雪中行軍のご苦労編、期待しておりますよ(笑)
「満願」おめでとうございました。
この「與田寺」、なぜ総奥の院と呼ばれるのかはっきりした解答に出会ったことはなく、今でも疑問なんです。
三本松や引田は陸路よりも海路に開け、瀬戸の対岸への風待ち港として栄えた歴史から推測すると、四国を離れる遍路の惜別の思いからそのように呼ばれたのでしょうかね・・・。
こいったんさんもそんな古の遍路の情を感じ取られことでしょう。
さあ、二順目のおまけの報告も拝見したく、雪中行軍のご苦労編、期待しておりますよ(笑)
Posted by 越前おろしそば at 2014年11月09日 16:57
こんばんは。
ようやく、ブログ上でも満願に到達しました。ありがとうございます。あと1話で、今回の遍路旅も終了です。
昔のお遍路さんにとっての與田寺は、今の大窪寺くらいに存在の大きなお寺だったのかなあ、と思います。冠になる言葉がついたのも納得出来ます。
二巡目のおまけの遍路旅ですが、ほとんどお遍路さんが歩かないルートや、全く遍路道ではない所を歩いたりしていますので、少々興味が薄れるかも知れませんが引き続きよろしくお願いします。
ようやく、ブログ上でも満願に到達しました。ありがとうございます。あと1話で、今回の遍路旅も終了です。
昔のお遍路さんにとっての與田寺は、今の大窪寺くらいに存在の大きなお寺だったのかなあ、と思います。冠になる言葉がついたのも納得出来ます。
二巡目のおまけの遍路旅ですが、ほとんどお遍路さんが歩かないルートや、全く遍路道ではない所を歩いたりしていますので、少々興味が薄れるかも知れませんが引き続きよろしくお願いします。
Posted by こいったん
at 2014年11月09日 21:27
